鈴木善幸首相の初の外遊はASEAN訪問

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水町重範氏(本人提供)1981年1月、鈴木善幸首相の初の外遊は慣例とは趣を変え、ASEAN(東南アジア諸国連合)訪問となった。当時の鈴木首相の言葉を借りれば、引っ越し後の挨拶はまず日々顔を合わせる隣近所からが普通だろうということだった。
日本の首相は、まず米国に赴くのが江戸時代の参勤交代のようなものと理解されていたので、最初の訪問先がASEANとなったことに「善幸さんらしい!」という声が挙がった。
私はまだ35歳の若造で、初の外遊随行という未経験任務で緊張していた。当日の機内には首相以下、外相、官房副長官、随行の国会議員、それぞれの秘書官と私、そして後部座席には数十人の報道関係者がいて、その報道陣らを束ねている人もいた。
外務省報道課長(当時)の寺田輝介氏(85)。穏やかな表情の中にも眼鏡の奥に鋭いまなざしを残し、官僚らしさと紳士的外交官らしさを併せ持った風情が、後の学究的かつ変わらぬ威厳に結びつく。
私ともこの時に出会い、今も医師と患者として関係は継続されている。

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